真の宗教(2/8):この宗教の名称

イスラームについて最初に知り、理解すべきことは、「イスラーム」が何を意味するのかということでしょう。アラビア語で「イスラーム」は、唯一なる真実の神を意味する「アッラー」へ自らの意思を服従させることです。イスラーム宗教は、イエス・キリストにちなんで名付けられたキリスト教、ゴータマ・ブッダにちなんで名付けられた仏教、孔子の教えにちなんで名付けられた儒教、カール・マルクスにちなんで名付けられたマルクス主義、ユダ族にちなんで名付けられたユダヤ教、ヒンズー人(インド人)にちなんで名付けられたヒンズー教などのケースと異なり、創始者の名前にちなんだものでも、後世の人々によって命名されたものでもありません。イスラーム(神の御意への服従)は最初の人間かつ最初の預言者であったアダムに授けられた宗教であり、アッラーによって人類に遣わされたすべての預言者たちの宗教でもあります。さらに、それは神が人類への最終啓示として下された啓典の中でも明確に述べられているように、神ご自身によって選ばれた名称なのです。その最終啓示はアラビア語でクルアーンと呼ばれており、その中でアッラーは次のように述べます。

 “今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである。”(クルアーン5:3)

 “イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。”(クルアーン3:85)

それゆえ、元来アダムとそれ以降の預言者たちに下されているものであるゆえ、イスラームは7世紀に預言者ムハンマドによって創始された新宗教であるとは主張せず、全能なる神アッラーによる真の宗教の最終的な形態であるとするのです。

ここで、真の宗教であると自称する他の2つの宗教について簡潔に述べておくことがあります。バイブルの中で預言者モーゼの民、またはその子孫の宗教が「ユダヤ教」という名称であると神が啓示している場面はまったく存在せず、キリストの追従者たちの宗教が「キリスト教」と呼ばれるようになるという場面も然りです。言い換えると、「ユダヤ教」と「キリスト教」という名称は、神に由来するものではなく、神の承認があるという訳でもありません。イエスの宗教に「キリスト教」という名称が付けられたのは、彼が去ってからだいぶ後の時代なのです。

では、イエスの宗教とは実際には何だったのでしょうか? 彼の宗教は、それを神との関係を築くための基盤として受け入れるよう説いた、彼による教えに反映しています。イスラームにおいて、イエスはアッラーによって遣わされた預言者であり、アラビア語の名をイーサーといいます。彼以前の預言者たち同様、彼は人々に神の御意に服従するよう呼びかけていました(つまりそれはイスラームの教えそのものです)。たとえば、新約聖書においてはイエスが追従者たちに次のように神へ祈るよう説いています。

 “天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。…御心が行われますように、天におけるように地の上にも。”(マタイ69−10)

この概念は、福音の中で何度もイエスによって協調されています。たとえば、彼は服従する者のみが天国に入るのだと説いています。

 “わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。”(マタイ7:21)

またイエスは彼自身、神の御意に服従していると述べています。

 “わたしは自分では何もできない。…わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。”(ヨハネ530)

イエスが追従者たちに対し、彼自身は神ではないことを明白にしている場面が複数あります。たとえば、最後の時について彼はこう述べています。

 “その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。”(マルコ13:32)

このように、彼以前の他の預言者たち同様、イエスは唯一なる真実の神への服従であるイスラームの宗教を説いていたのです。

 

真の宗教(3/8):神と創造
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