本能、科学、そして宗教(後半):イスラーム的観点

特に獰猛な動物であるワニによる世話は、非常に驚くべき性質のものです。まず、ワニは卵の孵化のために地面に穴を掘ります。穴の中の温度は30を超えてはいけません。僅かな温度の上昇も、卵の中の生命の存続を脅かします。ワニは卵が配置される穴に関し、なるべく日陰の場所に卵を置こうと努め、卵が一定の温度を保てるように並々ならぬ配慮をするのです。あるワニの一種は、冷たい水の上に雑草で出来た巣を作ります。こうした手段にも関わらず巣の温度が上昇した場合、ワニはその上に尿をふりかけるのです。

巣からの音にワニが気付かないと、子ワニは窒息することになるため、卵の孵化する瞬間が最も重要です。母ワニは卵に寄り添い歯を巧みに使って幼体を殻から取り出してあげます。ワニの歯は非常に鋭利で、すこし間違うと幼体を傷付けてしまいますが、そういうことはありません。子ワニにとっての最も安全な場所は、母ワニの口の中にある保護膜であり、そこの中には6匹の幼体を収容することが出来ます。

ワニのような野生動物による子供への細心の注意と心遣いは、強者のみが生き延び、それ以外は打ち負かされて滅びるという、進化論者が主張する弱肉強食説の無効性の一例に過ぎません。

自己犠牲をすることで知られる他の動物に、イルカがあります。イルカは子が生まれたその瞬間から、多大な世話をして子を育てます。子イルカは生まれると、酸素の補給のために水面まで上がって来なければなりません。母イルカはそのことをきちんと自覚しており、彼女の鼻先を優しく使って子イルカを水面まで押し上げてやるのです。

出産の直前は、母イルカの動きが著しく鈍化します。こうした理由から、分娩時には他の二匹の雌イルカが母イルカに付き添います。母イルカの傍らにそれぞれ一匹ずつが補佐役として常に帯同し、血の匂いを嗅ぎつけて襲いかかってくるサメから、二匹が母イルカを守る責任を引き受けるのです。

進化論者たちによって「動物において認められる動因であるが、完全には解明されていないもの」と定義された本能は、いかに動物たちを巣を建築する工学者へ、または子や巣を守る勇敢な兵士へ、さらには最も獰猛な種を子に対して哀れみ深く優しい生物へと豹変させるというのでしょうか?

事実、ダーウィンもこの疑問に対して答えることに難儀しており、彼自身もそのことを提唱しています。彼はまた、関連する質問に答えずにいました。彼の著である「種の起源」において、彼は以下の問いかけをしています:

第三に、自然淘汰を通して本能が獲得されること、または修正されることがあるのだろうか?事実上、難解な科学者の発見へとつながった、蜂が巣を作る行為へと至らせる驚嘆すべき本能については、何と言うべきであろうか?(チャールズ・ダーウィン、種の起源 205頁)

ダーウィンによる「自然淘汰説」への疑念は確かに正確なものでした。ダーウィン自身も自然淘汰が道理に叶った説明ではないことを告白しましたが、進化論者の大多数は、未だこの虚偽に執着しているのです。

明確な意識をもって自然を観察することの出来る人間は皆、いわゆる弱肉強食のために生き物が冷酷、乱暴、無慈悲ではないことを見て取ることが出来ます。逆に、生き物は創造主によって自己犠牲をいとわないよう創られているのです。

クルアーンの第16章68節では、このように述べられています:

「またあなたの主は、蜜蜂に啓示した…」

諸天と大地、そしてその間のあらゆるものの主である「神」は、果てしなく慈悲深く、たびたびお赦しになる、全生物の支配者です。ダーウィンには進化論という視野をもってしても説明することの出来なかった動物の本能は、実際には神によって全生物に授けられたものなのです。

自然界における全生命は神によって創造されました。つまり全生物は神の御意によってその存在がもたらされ、かれの御意に沿った行為をするのです。生き物が子に対して示す自己犠牲の行為、思いやり、情け深さは神の御名「慈悲深き者」の顕示に過ぎません。このことは第16章7節において啓示されています:

「本当にあなたがたの主は、親切で慈悲深い方であられる。」

また、預言者もこのように述べています:

「実に、神は彼の慈悲の一部を世界に示し、それによって母親は子供を、そして野生動物や鳥類はお互いの世話するのである。」(サヒーフ・ムスリム」   

 

本能、科学、そして宗教(前半):動物界の自己犠牲