シャハーダ

慈悲あまねく慈悲深きアッラーのみ名において

シャハーダ

シャハーダ(証言)とはイスラームの核であり、次の2つのカリマによる信仰の証言です。

 アシュハドゥ アンラー イラーハ イッラッラー

私はアッラーのほかにイラー(崇拝の対象)はないことを証言します。

ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン ラスールッラー

また、私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。

ムスリムはこのカリマの意味することに確信をもつことが大切です。しかし、これをただむやみに信じ込もうとし、理性だけで理解しようとするのは正しくありません。盲信と理性だけによる理解は両極端にありますが、ムスリムはその中道を行き、正しい知識に基づいた信仰を持つことが求められます。ですから、クルアーンとハディース(預言者ムハンマドの言行の伝承)を学び、正しい方法でサラートやサウムなどのイバーダ(信仰行為)を実践することによって、このカリマの真意を深く理解していくことがとても大切なのです。

アッラーは信仰の強制を禁じています。ですからシャハーダはいかなる圧力からも自由な状態で、自らの意志で行なわれなければなりません。

『宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。・・・』雌牛章(第2章)256節

そして、次のアーヤにあるように、シャハーダは人生の終わる時までそれを堅持しつづけることで、火獄の懲罰からの救いとなります。

『あなたがた信仰する者よ、十分な畏敬の念でアッラーを畏れなさい。あなたがたはムスリムにならずに死んではならない。あなたがたはアッラーの絆に皆でしっかりとすがり、分裂してはならない。そしてあなたがたに対するアッラーの恩恵を心に銘じなさい。初めあなたがたが(互いに)敵であった時かれはあなたがたの心を(愛情で)結び付け、その御恵みによりあなたがたは兄弟となったのである。あなたがたが火獄の穴の辺りにいたのを、かれがそこから救い出されたのである。このようにアッラーは、あなたがたのために印を明示される。きっとあなたがたは正しく導かれるであろう。』イムラーン家章(第3章)102-103節

A 『ラー イラーハ イッラッラー』の真意

『ラー イラーハ イッラッラー』、このカリマはイスラームの核です。このカリマをより深く理解するために、これを単語ごとに見ていきます。

まず、初めの「ラー」は否定であり、それに続く言葉を否定します。次の「イラーハ」は前の「ラー」によって否定されている言葉で、これは「崇拝されるもの」と言う意味があり、次のような意味を含んでいます。

1、心から愛されるもの

2、怖れられるもの

3、助けを請い求められるもの

4、その命令と禁止に服従されるもの

つまり「イラーハ」とは愛と怖れと望みを持って崇拝・服従される対象であり、「ラー イラーハ」とは、「イラーはない」つまりこの地上にあるあらゆる崇拝を完全に否定しているのです。

そして次の「イッラー」という言葉ですが、これは「…以外に」という意味であり、次に来る「ッラー(アッラー)」を除外します。つまりここでは「アッラー以外に」という意味であり、この地上で崇拝・服従されるべき対象は「アッラーだけ」であることを強調しています。

ですから「ラー イラーハ イッラッラー」とは、まずあらゆる「イラー」を完全否定し、そして至高偉大なるアッラーだけが真実の「イラー」であるということを述べたカリマなのです。そしてアッラー以外に対する崇拝や心の傾倒は、それがどんな形であれシルク(多神崇拝)とみなされます。

多くの人々が意識的か無意識的かを問わず、このシルク(多神崇拝)に陥っています。例えばエゴイズムという自分自身に対する崇拝は、自分の定めた規則以外に従うことを拒否します。このような人は「自我」を「イラー」とした人と言えます。至高偉大なるアッラーは語っておられます。

『あなたは自分の思惑を神として(思い込む)者を見たのか。あなたはかれらの守護者になるつもりなのか。』識別章(第25章)43節

一方、ほかの人間の自我も「イラー」になり得ます。例えばフィルアウンは自分自身を「イラー」であるとした権力者でした。彼は全ての人々が自分に服従することを望み、人々にその欲望を強制しました。クルアーンにこうあります。

『フィルアウンは言った。「長老たちよ。わたし以外に、あなたがたに神がある筈がない。そしてハーマーンよ、泥(を焼いた煉瓦)でわたしのために高殿を築け。そしてムーサーの神の許に登って行こう。わたしには、どうもかれは虚言の徒であると思われる。」』物語章(第28章)38節

フィルアウンのような権力者はいつの時代にもどこにでもいるものです。そしてそのような権力者や指導者を、アッラー以外のイラーとして服従している人々もたくさんいます。人間が他の人間のしもべとなることはいつの時代にも見られる問題です。ですから預言者たちはみな、唯一神アッラーだけに従うことを説き、特定の人間や集団を「イラー」とするあらゆる形のシルクを排除することに力を注いだのです。

また、人間の自我や欲望のほかに、それ自体は益も害も及ぼすことのできない物質も人々によって「イラー」とされています。彼らはある特定の物質には特別な力が宿っていたり奇跡を起こしたりできると信じており、特定の日時に厳かな儀式を行なったりしています。彼らはそれで偽りのイラーから加護と救いが与えられると考えているのです。アッラーはこう語っておられます。

『かれらは、アッラーの外に邪神を選び何とか助けられようとする。それら(邪神たち)は、かれらを助ける力はなく、むしろかれらの方が邪神を守るため軍備を整えている始末。』ヤー・スィーン章(第36章)74-75節

「アッラーの他にイラーはない」と証言したムスリムは、これら偽りのイラーから完全に自由であり、至高至大なるアッラーだけに帰依服従するのです。

B 『ムハンマド ラスールッラー』の真意

ムスリムが証言する二つ目のカリマは『ムハンマド ラスールッラー』です。これはムハンマド(彼に祝福と平安あれ)がアッラーの使徒である事を信じるという証言であると同時に、アッラーの使徒(彼の上に祝福と平安あれ)の神性を否定しています。

アッラーの存在を証言することは、当時のクライシュ族の人々にとっても特にめずらしいことではありませんでした。彼らは先祖の教えであるアーダムとイブラーヒームの教えからアッラーの存在を知っており、日々の生活の中でもアッラーという言葉は使われていました。一方、私たちの周りにも創造主の存在を認める人は多くいます。しかし彼らは預言者の存在を信じません。このように、唯一神の存在を認めることよりもその使徒たちの存在を認めることの方が、いつの時代でも多くの人々にとって難しい問題となっているのです。

たとえアッラーの存在を認めたとしても、アッラーによって遣わされた使徒たちの存在も同時に認めるのでなければ、アッラーを正しく信仰したことにはなりません。アッラーは私たちを導くために預言者たちを遣わされたのですから、預言者たちの指導なくしては、創造主に正しく敬虔さを示すことは出来ません。また、明瞭な模範がなければ、迷った人生を正すことはできないでしょう。アッラーはアッラーの唯一性を証言するすべての人のために、ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)という人間をその模範として遣わされました。そして、アッラーの使徒(彼の上に祝福と平安あれ)がサハーバ(教友たち)と共に築いた社会は、完成されたイスラーム社会のモデルとなっています。アッラーは語っておられます。

『われが使徒を遣わしたのは、唯アッラーの御許しの許に服従、帰依させるためである。・・・』婦人章(第4章)64節

『本当にアッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。』部族連合章(第33章)21節

『使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。・・・』婦人章(第4章)80節

「ムハンマドはアッラーの使徒である」と証言したムスリムは、彼によって伝えられた啓示の真実性を認め、全ての命令に服従し、禁じられたことを避け、使徒の行なった方法によってのみイバーダ(信仰行為)を行ないます。

使徒(彼の上に祝福と平安あれ)に対してムスリムは、彼を愛し、尊敬し、擁護し、彼を愛する者を愛し、彼のスンナ(慣行)を実践し、彼のために多くの祝福を祈り、そして彼のメッセージを守り、伝えていく義務があります。

これらの使徒に対する義務を行なうことによって、ムスリムは正しい道を踏み外すことなく、アッラーの使徒が示した方法で正しくアッラーを崇拝することができるのです。